東京高等裁判所 昭和44年(う)1762号 判決
被告人 飛沢昭茂
〔抄 録〕
所論は、原審が、弓田君男および番場次夫両名の検察官に対する各供述調書について、いずれもその信用性の情況的保障すなわちいわゆる特信性がないものとし、また、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書については、双方ともその任意性が認められないものとして、検察官のした右各供述調書の取調請求を却下したのは、刑事訴訟法三二一条一項二号又は同法三二二条の解釈を誤り、訴訟手続の法令に違反したものであり、これらの誤りは、いずれも、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、と主張する。そこで、以下、順次、これについて検討することにする。
一、弓田君男の検察官に対する供述調書の特信性について
原審第四回公判期日において、検察官が弓田君男の昭和四三年一二月二一日付および番場次夫の同月二五日付各検面調書の取調を請求したところ、弁護人が、右各検面調書には特信性がないと述べ、その後、第六回公判期日において、原審が、右請求をいずれも却下したことは、記録上明白である。おもうに、まず、右弓田が、当初、番場次夫との間に生じたといういわゆるいちやもんの件を被告人に話した動機およびその目的ならびにこれに対する被告人の応答いかんが、その後にわたる本件事犯全般における被告人の心意ないしその言動をどのように理解すべきか、換言すれば、本件における被告人の共謀の有無をどのように判定すべきかという重要な点に深いかかわり合いのあることは、明らかである。そして、この点について、弓田の原審公判期日における供述と前に検察官の面前においてした供述との間に実質的なちがいのあることは、原審における検察官の右弓田証人に対する尋問およびこれに対する同証人の供述に徴し、これを看取することができる(記録一二五丁ないし一二六丁参照)のであつて、原判決も、この点は、あえて否定していないように思われる。
そこで、右弓田の検察官に対する供述調書の特信性の問題に及ぶわけであるが、これにつき、所論は、特信性の判断は、供述の内容を詳細に検討してなされなければならず、そのためには一応調書を受理して両供述の内容が対比検討されなければならない、と主張する。もとより、特信性の判断が、当該供述の内容を慎重に検討してなされなければならないことはいうまでもないが、同時に、また、その検討が法の認める方法および限度においてなされるべきものであることも忘れてはなるまい。特信性の有無を証拠能力の要件とは考えず、証明力の問題と解する見解のあることは事実である。しかし、これによると、単に前の供述と異なるということだけで、たやすく検察官調書の証拠能力が認められることになり、その結果は、書面の証拠能力は旧法にもましてゆるやかに取扱われることになるから、それでは、伝聞禁止による書面の証拠能力をきびしく制限した法の精神は有名無実となつて、現行法の支えとなつている弁論主義は、くずれてしまうことになる。この意味において、当裁判所は、この特信性の問題を証拠能力の要件と解する見解に賛同するものである。そして、この立場からすれば、特信性の判断をするについて、いまだ証拠能力の有無の判定もされていない調書を裁判所が一応受理してその内容を閲読することの許されないのはいうまでもない。もつとも、規則には、裁判所が、証拠決定をするについて必要があると認めるときは、訴訟関係人に証拠書類または証拠物の提示を求めることができる、といういわゆる提示命令についての規定がある(規一九二条)。しかし、これは、たとえば、法三二一条一項各号の書面の供述者の署名押印の有無や、法三二三条各号所定の書面に該当するかどうかを確かめるなど、主として証拠の外形によりその証拠能力の有無を判定するためのものであつて、その内容にまでたち入つて調査検討することを認める趣旨ではない、と解すべきであり、また、そのように解するのが、前記法の精神に合致するものと考えられるのである。
おもうに、法三二一条一項二号の前段は必要性、後段は特信性のある場合である。しかし、同じく特信性の要件を定めている次号の規定が、「……その供述が特に信用すべき情況の下にされたものであるとき……。」、としているのに対し、本号が、「……公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するとき……。」、と定めているところからも明らかなように、本号における特信性は、必ずしも絶対的なものである必要はなく、相対的なもので足りる、と解せられる。したがつて、前の供述を特に信用すべき積極的な情況の存在が認められる場合にはもち論であるが、そのほか、公判準備又は公判期日における供述が必ずしも信用できないという情況が認められる場合でもよいわけであつて、証人が前の供述をかえた場合、検察官が後に法三二一条一項二号の書面の取調を請求しようとするならば、規則一九九条の三の二項、三項六号による弾劾尋問、誘導尋問を行つて証人を追及し、その証言に不合理ないしあいまいな点のあることを曝露し、その信用性を減殺することによつて、相対的に、前の供述の特信性を増大することに努めなければならないのである。この意味において、特信性の要件は、当該書証の証拠調を請求する当事者側が主張立証(ただし、この立証は、自由な証明で足りる。)しなければならないのであり、また、その特信性の基準も、その調書を検察官が読聞けたうえで署名指印されたとか、検察官の取調のときの方が供述者の記憶が鮮明であつたとか、いうように形式的、一律的にのみ断ずることは適当でない、と考える。原判決が、「検察官がそのいわゆる特信情況として主張するところのうち、調書の読聞けを受けてこれに署名指印したとか、その供述記載自体に矛盾がないとか、まして検察官の面前における供述時の方が記憶が鮮明であるなどということは、ことがらの性質上当然のことであるか、あるいは少なくとも通常のことであつて、これをもつて、被告人の反対尋問権を侵害してなおそれを正当ずけうる特別の情況というにはあたらない……。」、と判示しているのも、右の趣旨において、これを理解することができるし、また、同じく原判決が、「一般的に捜査官憲に対する供述が、その信用性の情況的保障において、公開の法廷で宣誓のうえ、被告人、弁護人の反対尋問にさらされた供述に優るものがあるとは考えられないのであつて、検察官において、それでもなおかつそれがあるというのであれば、憲法が保障する侵害の正当性を主張しうる程の具体的根拠を指摘し、かつこれを立証しなければならない……。」、と指摘しているのも、公判審理の重要性を強調するそのすじ道そのものに誤りがある、ということはできない。しかし、さらに進んで、はたして原審検察官が、弓田証人のした前の供述の特信性の点についての主張および立証を、原判決の強くいうほど致命的に怠つていたか、そして、これに関連して、同証人の原審公判期日における供述が、法三二一条一項二号の適用の余地のないほど信用性の高いものと認められるか、という点になると、当裁判所としては、原審といささかその所見を異にする、といわざるを得ないのである。なるほど、同証人の供述の信用度がそれほど高くないという情況を原審法廷に曝露しようとした筈である検察側の尋問には、なお、若干、もの足りないとおもわれるふしがなかつたともいえないようであるが、それでも、なお、弓田の証言が、重要な点においてあいまいであり、一貫して真実を卒直に吐露しているものとは、必ずしもうけとれない。なるほど、番場との間に多少のいざこざはあつたとはいえ、別段けんか闘争になるほどの険悪な状況がさしせまつているともおもわれないのに、従前から格別の交際もなく、ただ会えば挨拶する程度だという被告人に対し、なぜ、わざわざ「いちやもんつけられてしまつた。」などということを話す必要があつたのであろうか。この点につき、弓田は、原審で、番場とのいざこざの際、自分が同人に「飛沢さん知つている。」といつたら、番場も「知つている。」といつたので、被告人に話す気になつた、と述べている(ただし、弓田は、同じ公判期日の終りに近い部分では、番場の方から、先に、「飛沢さん知つてるか。」といい出したようにも述べているのである((記録一四五丁裏)))が、番場は、そのようなことをすこしも述べていないばかりか、もともと右のようないちやもんをつけられているときに、なぜ被告人の名前を口に出すことになつたのか、その間の経緯が全く不明である。他方、また、弓田から右の程度の話をきいてただ「ああそうか。」と軽く受け流すような返事をしただけであるという被告人が、その後、さつそく番場を呼びつけたりして本件に介入してくる必要もなさそうにおもわれるし、本件当日弓田自身が須坂駅前で被告人や番場に出会つたのも全くの偶然である、というその証言は、被告人自身の供述(記録二九〇丁)ともくいちがうばかりでなく、そのようなこと自体がはなはだ不自然である、といわなければならない(現に、同人は、その後、当審において、はじめ被告人に会つたとき、被告人から、一二月四日は暇だから番場をつれてくると言われたことを今思い出した、言われたのはまちがいない、と述べているが、このようなことは、忘れたり考えちがいするような事がらではないようにおもわれるのである。)。さらに、弓田が原審で述べているところによると、話を丸くおさめようという気持で、被告人に話にのつてもらい、力になつてもらつた、というのに(記録一一七丁表)、その後における同人の言動にはいつこうにそのような気配も見られないばかりか、かえつて「えびす食堂」で、番場が、しきりに、「お金で解決してくれるなら。」といつているのに、「男どうしが一対一で張るんだから。」などと言い張つて、頑としてあとに引かなかつた(記録一四〇丁裏)のは、どういうわけであろうか。それに、終始弓田の傍にいて、仲裁役をつとめていた筈の被告人に、けんかを押さえるという態度はあつたと思う、といいながら、すぐそのあとで、「なにか被告人の方からけんかをやめろ、というような態度があつたかどうかきくんですがね。」、と問われ、「なかつたと思いますね。」、などと答えている(記録一二七丁裏ないし一二八丁表)のは、いささかその真意を理解し難いし、ことに、前記のとおり、弓田が、番場に対し、「一対一でやろうじやないか。」といつているのを被告人も傍で聞いていながら、その間に、やれとか、やめろとかいうことも言わなかつた、という点については、原審裁判官自身も、「だまつてただ聞いていただけか、ちよつと考えられないがね。」、と不審の言葉をもらしているのである(記録一四二丁裏)。これら若干摘示した諸点のほか、なお、原審における弓田証人の供述全般をくわしく検討し(その中には、同証人の「自分が検事の取調を受けたのは一回だと思う。」、「そのとき調書をつくられたが、もちろん本当のことを言つた。」、「その調書は読んで聞かされ、何が書いてあるかわかつた、まちがいはなかつた。」旨の供述((記録一四七丁裏、一四八丁表ないし裏))もふくまれている。)、また、これに加えて、原審において法三二八条該当書面として取調べられた(したがつて、原審は、当然、この書面の任意性を認めているわけである。)弓田の司法警察員に対する供述調書との対比によつて認められる、両供述の間に存在する多くの自己矛盾をも考慮すると、同証人の原審における供述にそれほどの信用性があるとは認め難く(なお、念のため、当審においても直接、右弓田を証人として取調べてみたが、やはり、その結論を変えるまでには至らなかつた。)、同人の検察官に対する供述調書の特信性についての具体的な主張(記録一七七丁表ないし一七八丁参照)と、これに対応する立証(ただし、自由な証明による。)とは、一応なされたものということができる。したがつて、原審としては、法三二一条一項二号によつて右供述調書を証拠として採用し、これを同人の公判供述その他の関係証拠とも対比して、その信用性の有無および程度を判定すべきであつたのに、これをしなかつたのは、右法条の解釈適用を誤り、訴訟手続の法令に違反したものといわざるを得ず、これらは明らかに判決に影響を及ぼすべきものと認められるから、論旨は結局理由あるに帰し、原判決は破棄を免れない。
二、番場次末の検察官に対する供述調書について
所論は、まず、右番場の原審公判期日における供述と検察官の面前における供述との実質的な差異として、(一)同人は、検察官の面前においては、「被告人は、須坂で顔がきくので若い者たちの何かのグループの親分級ではないかと思つていた。被告人とは友人ではなく昔つきあつたことがあるだけである。」、と述べているのに、原審の証言では、「被告人は、須坂市内で顔の広い人であると思つていただけで、不良グループの親分級の人だと思つたことはない。被告人とは友達である。」、と述べている、(二)検察官に対しては、「弓田が暴行を加えた後で金員を要求したので『三千円出す。』、といつたら、同人はおつかぶせるように『三万円はいつ持つてくるんだ。』、といつた。それで三万円出すことにした。」、と供述しているのに対し、原審の証言では、「弓田が暴行のあとで金員を要求したので『三千円出す。』といつたら、同人は三万円と聞きまちがえたらしく、後日友人の佐藤清治に聞いてみると、三万円ということになつていた。」、と述べている、の二点を挙げている。しかし、(一)については、番場は、原審でも、被告人は「年も上だし、先輩ということで、グループの中で顔がきいたといえる。」、ともいつているばかりでなく、本件事犯の経過のうちにおける被告人の言動についての番場の原審証言全体を合わせて考えれば、所論の指摘する各供述の間に、被告人の共謀をより明確に認めさせるほどの実質的な差異がある、ともおもわれないし、また、(二)についても、番場は、原審で、「自分が三千円といつたら(弓田が)三万円持つてこいといつたので、これはおかしいと思つたが、二七日とか二八日に持つてこいといつたので、日にちが足りないから末にしてくれ、といつた。」、と述べているのであるから(記録五八丁裏ないし五九丁表)、それに、本件が結局、未遂に終つていることをも考え合わせると、やはり、検察官に対する供述との間に、それほど重要な実質的な差異がある、とはいえない。したがつて、右番場の検察官に対する供述調書は、すでにこの点において法三二一条一項二号の規定に該当しないことになるから、その取調の請求を却下した原審の措置は結局相当であり、論旨は採用することができない。
三、被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書の任意性について
原審第四回公判期日において、検察官が、被告人の司法警察員に対する昭和四三年一二月二〇日付、および検察官に対する同年一二月二五日付各供述調書の取調請求したところ、弁護人が、右各供述調書には任意性がない旨を述べ、その後第六回公判期日において、原審が、右各請求を却下したことは、記録上明らかである。ところで、まず、被告人の司法警察員に対する供述調書(昭和四三年一二月二〇日付)の任意性についての所論は、要するに、被告人の取調に当つた両角巡査部長が、刑事の情報に基づいて、被告人は、須坂市内を繩張りとする不良青少年グループの暴力団若葉会の元幹部であつたと考えていたことは、なんら偏見でもなく、また、誤つた予断でもない、さらに、同巡査部長が、以前自己が取調べた事件で被告人が処罰されたことがあるので、今回も弓田の犯行に共謀加担したとの予断と偏見を抱いたとか、「被告人が共謀について否認したにもかかわらず、共謀を認めた調書を作り、被告人が署名指印を拒むときよう中に帰宅させてやると詐言を弄して署名指印させた。」、というのは、単に被告人がそういうだけであつて、他にこれを認めるに足る証拠はなく、被告人が、自白し、すなおに署名指印したことは、同巡査部長が明確に証言している、というのである。そこで、同証人の原審における証言を調べてみると、「自分は、四~五年前被告人を調べたことがある。これが第一回目であるが、このときは参考に聞いただけである。」、「昭和四〇年の暴行罪罰金五、〇〇〇円の分については調べていないが、昭和四三年七月の暴行、傷害罰金二万円のときは調べた。」、「当時、暴力団若葉会というのがあり、表面上の親分は田中厚であるが、背後にいる本当の親分は、最近殺された市川組の滝沢真一である。」、「これは、須坂を繩張りにしていた不良青少年団で、警察ではつきりわかつていた組員は十数名である。」、「被告人は、その若葉会の親分ではないが、幹部クラスである。」、「滝沢真一が今回殺されるときに自動車の運転をやつていた倉島義一、それに名前は忘れたが、宮下、近藤、三木、萩原、これらも組員で、昔、富士通に関係したもので、被告人とはよくつき合つていた友達である。」、「被告人が入会したことは、山浦刑事か中島刑事の情報で聞いた。昨年(昭和四三年)三月二九日に須坂市内の丸井会館で彼らの主催したダンスパーテイーがあつたが、そのあと、柳月というすし屋で二〇名ばかりが飲んでいるが、そのときに結成され、被告人もそのとき参加している、ということを情報で聞いている。」などの供述があり、これらによると、両角巡査部長が、本件について被告人を取調べる際、右若葉会のことが念頭にあつたことは否定できないようである。そして、原判決は、この点を重視し、これと被告人の原審における供述とを合わせ考えると、「被告人は、弓田との共謀の事実を極力否認したが、両角は、被告人が弓田の犯行現場附近に佇立していた事実のみをとらえてその弁解に耳をかさず、共謀の事実を認めたような供述を記載して調書を作成したものではないか、そして、被告人が、調書記載が虚偽であるとしてこれに対する署名指印を拒むと、きよう中に帰宅させてやるからと詐言を弄してこれに応じさせたのではないか、との疑い」を打ち消し難いとする。しかし、両角が入手したという前記情報の真偽の点はともかく、前記両角が、本件について被告人を取調べる際、右情報の件を一応念頭においていたからといつて、同人の証言をほとんど全面的に排斥し、被告人の供述そのままが、全部真実であるかのように推測することは、証拠判断上必ずしも妥当である、とはおもわれない。なるほど、両角は、弓田との共謀の点について被告人を追及した、とはいつているが、若葉会との関係を蒸し返えして執ように被告人に問い糺した、とは述べていないし(記録二二五丁裏ないし二二六丁表)、被告人本人の供述の中にもそのようなふしは見あたらないのである。両角の供述によると、被告人は、若葉会には入つていないというから調書にはその記載をしなかつたことになつているが(記録二二六丁表)、これは、両角が、被告人の認めないことまでをあたかも認めたもののように調書に記載するようなことをしていない一つの証左ではあるまいか。供述の任意とは自発的ということではない。犯行を否認する被疑者に対し、不審とおもわれる点をあれこれ問い糺すことは、それが法の規定を逸脱しないかぎり、捜査官としては、むしろ当然なすべきことである。本件についての被告人の供述のうちには、必ずしも釈然としかねるふしぶしが多く存在することは、これを否定することができないようにおもわれる。したがつて、両角が、そのいうように、被告人の取調のため相当の時間を費したとしても(記録二一九丁表ないし裏)、それ自体けつして不自然ではないし、また、「被告人は、当初、自分はいつしよに現場へ行つたが共犯ではない、といつて否認した。結局私の方としては、被害者の供述を聞いているから、なぜ、それじや呼び出したんだということを追及したところ、申しわけないということで自供した。」、(記録一九八丁表ないし裏)「百姓が休みでつい生意気心出したといつていた。」(記録二二三丁裏、二二八丁裏)旨の同人の供述も、あながち不合理で作為的なものとは考えられない。これらの諸点を念頭におき、改めて同人の供述全般をこれに対応する被告人の供述(後記の弁解録取書をふくめ)と対比して検討すると、本件の取調については、原判決の摘示するような疑いをさしはさむ余地はなく、右司法警察員に対してなされたという被告人の自白は、虚偽の供述をする恐れのない状況の下でなされ、かつ、その際、供述の自由の侵害とみられるような圧迫が加えられなかつたことを認めることができる。したがつて、原審としては、検察官から法三二二条により証拠請求のあつた被告人の司法警察員に対する前記供述調書を証拠として採用し、これを被告人の公判供述その他の関係証拠とも対比して、その信用性の有無および程度を判断すべきであつたのに、任意性がないとしてこれを却下したのは、右法条の解釈適用を誤り、訴訟手続の法令に違反したものといわざるを得ず、これらは、明らかに判決に影響を及ぼすべきものと認められるから、論旨は理由があり、原判決は、この点においても破棄を免れない。
次に、所論は、被告人の検察官に対する供述調書の任意性について、(一)原審の任意性がないとする理由は、偏見に基づくもので不当である、(二)被告人の任意性に関する主張は信憑性がない、との二点を主張し、それぞれその理由を開陳する。そこで、試みに、原審における被告人の検察官に対する供述調書の任意性に関する供述部分を摘出すると、おおむね次のとおりである。「検事のところで一二月二五日に調をうけた。検事のところでおどかされたり叩かれたりしたことはない。調書ができて読聞かされ、それに署名指印した。その内容を読聞かしてもらつたときまちがいがあつたが、自分はまちがいがあるといわなかつた。それはちがうといつても検事にすごく突込まれたからである。自分ではやつていないといつたら、『飛沢は兄貴分でやつているではないか。』、といわれ、他にもあつたがおぼえていない。弓田と相談もしないし、仲なおりさせるために仲裁に入つたといつたら、検事は、『そんなことねえだろ、兄貴分だから。』、といわれた。共謀のことは認めないのにその認めないことが書いてある。」、「自分は、検事に、『自分としては共謀して金を取ることは頭になくて、仲なおりさせるために間に入つた。』、といつた。そのことが少しも書いてない書類に署名捺印したが、それは、将来重要な証拠になるということに気がつかなかつたからである。検事にいわれて名前書かなくてはいけないと思つた。名前書いて判押せば早く出られる、と思つた。拘置所には、暮から正月にかけて二〇日ちよつといた。署名捺印すればすぐ出られるということを検事がいつたのではない。」、「検察庁で取調をうける前、裁判所へ来て勾留尋問室で聞かれ、自分は、『共謀もしていないし、おとしまえ取るつもりもなかつた。』、といつた。そのとき書面作つてそれに署名押印したが、それにどう書いてあつたかおぼえていない。」、「一二月二五日は午後一時間くらい調べられたと思う。自分は、『弓田と共謀していない、おとしまえを取るつもりは全然なかつた。』、といつた。取調の検事の態度は普通の人と変りなく、こわいとは思わなかつた。『共謀したのではないか。』、と聞かれたので、『しない。』、といつたら、『昔遊んでいて、そんな共謀しないといつても共謀したではないか。』、というので、『ちがう。』、といつたら、大きな声で、『そんなことはない。』といつた。自分は、『ちがう。』、とまた突つぱねたが認めてくれず、『そんなことないだろう、昔遊んだから必ず共謀している。』、といつた。何回いつてもきいてくれないので自分はだまつてしまつた。共謀の点について、『警察の調書に書いてあることはまちがいないか。』ときかれたので『ちがう。』、といつたら、『警察が嘘書くことがあるか。』といわれたが、『ちがう。』、と頑張つた。暴力団に入つているかどうかきかれたので、『入つていない。』、といつたら、『新聞は嘘書かない。』といわれたので、だまつて下向いてしまつた。検事が口でいつて事務官が調書を作り、それを読んでもらつた。二人で共謀したように書いてあつたので、『ちがう。』、と二回も三回もいつたが聞いてもらえないことがあつたので、調書の記載がちがつていても下向いてだまつており、それで署名捺印した。」、「検事が調べたのは特別の部屋ではなく、横にちがう検事もいた。検事はどなり上げたわけではないが、普通の声より大きい声で、少しはいやな感じだつた。」、「検察庁について来られたとき、警察からの送致事実を金井検事に読聞かされて弁解をきかれたので、『ちがう、共謀もなにもしていない。』、といつた。『読聞かされたとおりまちがいない。』、といつたことはない。書類にそういうことが書いてあればまちがいで、自分は、『共謀などしていない。』、とはつきりいつた。そのとき検事がどなつたり、机を叩いたり、殴るというようなことはしない。」、「新聞に暴力団と出たということ検事に聞かれた。自分はその新聞見たら、信毎に暴力団若葉会幹部飛沢と書いてあつた。自分は、『入つていない、幹部でもなんでもない。』、といつたが、検事がそれを調書に書いたかどうかわからない。」、「自分は前に少し遊んだが、若葉会には全然関係ない。」(原審第四回公判期日、記録一五三丁裏ないし一七三丁裏)。「弁解録取書に自分が署名指印したことはまちがいないが、自分のいわないことが書いてある。書いてある内容も、それが読聞かされたかどうかもはつきりおぼえていない。自分は金井検事にどう述べたかおぼえてない。」、「金井検事から犯罪事実の内容が告げられた上で、弁解録収書が書かれ、自分が署名指印するまでの時間は五分か一〇分くらいだつた。警察から送つて来た書類を検事の横にいた人が読んだが、それには『弓田と共謀の上』となつていたので、自分は『共謀したおぼえはない。』、と否認した。それからあとはおぼえていない。『そにいいただけだ。』、といつたかどうかおぼえていない。そのときは時間が短かつたから、金井検事との間で共謀したかしないかについていい合つたかどうかよくおぼえいない。」、「『判を押せば帰してやる。』、ということを署ではいつたが、検事はいわない。自分は正月だから早く出たい、と思つた。」(前同第六回公判期日、記録二三六丁裏ないし二四一丁)。以上によつてもわかるとおり、被告人は、前記司法警察員の取調の際におけると同様、検察官の取調のときにも、弓田との共謀の点を強く否認して譲らなかつたにもかかわらず、担当の検察官が、これを無視して自白した旨の調書を作成してしまつた、との主張をくり返えしているのである。しかし、他方、検察官に対する昭和四三年一二月二五日付供述調書に署名指印した理由については、前記のとおり、「それは将来重要な証拠になる、ということに気がつかなかつたからである。」、とか、「検事にいわれて名前書かなくてはいけないと思つた。」あるいは、「名前書いて判押せば早く出られると思つた。」、とか、さらには、「検事は、『そんなことないだろう、昔遊んだから必ず共謀している。』、といつて、何回いつてもきいてくれないので、自分は、だまつてしまつた。」とか、やや多岐にわたるあいまいな供述をするようになつたばかりでなく、最後まで頑強に否認を続けたという警察署における取調が終了したその翌日である同年一二月二一日に作成された検事金井猛の弁解録取書には、「読聞けの通り弓田と二人で番場から金を脅し取ろうとした事は間違いありません。然し殴つたりしたのは弓田で、私はそばで見ていました。弁護人を頼めることはわかりました。」との記載と被告人の署名指印とがあるが、この書面が、そこに録取されている供述については、任意性を疑わしめるような事情が全くなかつたことを立証趣旨として、その証拠調が請求されたものとおもわれる(記録一九〇丁表、一八六丁裏ないし一八七裏)のに、被告人側からなんらの異議もなく、同意書面として証拠に採用されていることは、たとえ、それについても、また、被告人が、前記のとおり、「警察からの送致事実を金井検事に読聞かされて弁解をきかれたので、『ちがう、共謀もなにもしていない。』、とはつきりいつた。『読聞かされたとおりまちがいない。』、といつたことはない。」、「弁解録取書に自分が署名指印したことはまちがいないが、自分のいわないことが書いてある。」などと弁解しているにせよ、他方において、「書いてある内容も、それが読聞かされたかどうかもはつきりおぼえていない。自分は金井検事にどう述べたかおぼえていない。」、「警察から送つて来た書類……には、『弓田と共謀の上』となつていたので、自分は、『共謀したおぼえはない。』、と否認した。それからあとはおぼえていない。『そばにいただけだ。』、といつたかどうかおぼえていない。そのときは時間が短かつたから、金井検事との間で共謀したかしないかについていい合つたかどうかよくおぼえていない。」、というような漠然とした供述をするに止まつている以上、これが、被告人の前後一貫して続けて来た任意性に関するその主張の説得力を著しく弱めることになるのは免れ難い、とおもわれる。それに、検事青野真治が、一二月二五日に被告人の取調を行つた場所が、他から離れた個室ではなく、ほかの検事などもその近辺に席を占めている人目の多い普通の部屋であること、被告人自身も認めているうえに、なお、出廷簿抄本(記録二三四丁)等によると、その取調の時間も比較的人の出入りが多いとおもわれる当日の午前一一時二〇分から同五五分までの約三〇分間(しかも、この中には監房から取調室までの往復の時間もふくまれている。)に過ぎなかつたことが認められるのであるから、このような状況の下で被告人本人のいうような、そして、また、原判決の指摘するような強引な取調を行うことは、絶対に不可能ではないにしても、少なくとも著しく困難である、といわざるを得ないであろう。よつて、これらの諸点をひろく総合して考察すると、右検察官に対してなされたという被告人の自白も、また、前同様、任意性があるものと認めるのが相当であり、したがつて、原審としては、法三二二条により検察官から証拠調請求のあつた被告人の検察官に対する前記供述調書はこれを証拠として採用し、判断の資料に供すべきであつたのに、任意性がないとしてこれを却下したのは、やはり、右法条の解釈適用を誤り、訴訟手続の法令に違反したものというのほかなく、これらは、明らかに判決に影響を及ぼすべきものと認められるから、論旨は理由があり、原判決は、この点においても破棄を免れない。
(樋口 浅野 田畑)